残された書簡から描かれるその誕生の秘密
全てはワーグナーへの対抗心から生まれた?
ヴェルディが味わった挫折とは?
20年ぶりのミラノ再訪から生まれた
至高の芸術作品
20年振りのミラノ訪問
~マンゾーニとの出会い~
ジョヴァンナ・ダルコの初演以来、スカラ座そしてミラノとの関係を断ち切っていたヴェルディ。“聖人”と崇めるアレッサンドロ・マンゾーニとの出会いと共に、次第にミラノとの関係を修復していく。聞こえてくるワーグナーの足音。クララ・マッフェイ、そしてジュゼッピーナ・ヴェルディの2人の女性が託したヴェルディへの想いとは?パリからもたらされた一通の電報が、ヴェルディをある行動へと駆り立てる…。
ロッシーニ追悼のためのミサ
~選ばれた13人の作曲家達~
マンゾーニとの出会いによって、ヴェルディはスカラ座との仕事を再開した。「運命の力」の改訂版の初演である。そしてヴェルディによって提案されたロッシーニ追悼のためのレクイエム・ミサの作曲には、イタリアを代表する13人の作曲家達が選ばれた。もちろんヴェルディもその作曲家の中の一人である。ヴェルディに割り当てられたのはレクイエム・ミサの終曲「リベラ・メ」。そしてミサの演奏に重要な鍵を握る一人の指揮者が登場する…。
ワーグナーの町ボローニャ
~ワーグナーのオペラのイタリア初演~
ミラノの委員会が、ボローニャでのミサの準備を進める中、ボローニャではある歴史的なコンサートが開かれていた。それは音楽高校での小さな試みではあったが、実はボローニャ市立劇場とも連携したある大きな計画に向けた前触れであった。そしてロッシーニに捧げるミサもまた、そのボローニャ市立劇場の支配人の決断によって大きな局面を迎えることになるのである。
ヴェルディの「レクイエム・ミサ」
~マンゾーニに捧げるレクイエム~
ボローニャ市立劇場は、マリアーニの指揮によって「ローエングリン」のイタリア初演を行った。一方でヴェルディも同じ年に「アイーダ」を発表し、大成功を収めていた。ヴェルディにとってワーグナーは確かに脅威ではあったが、しかし彼の創り出す音を冷静に分析し、学ぶべき対象でもあった。弦楽四重奏曲の作曲、そしてもたらされたもう一人の‟聖人”マンゾーニの死に、ヴェルディは再び突き動かされていくのであった。